一人ぼっちという生き方 世間と乖離して生きる

思いついたことを書きますので悪しからず

ゆっくりしたい ただそれだけなのに

超久々の更新です。

なんだかブログを書く気力をもありませんでした。

まぁブログなんて誰に強制されているわけでもないんだし、気軽にゆっくりとやりたいときだけ吐露していければいいかなと。

 

と、なぜ今日に限ってブログを更新しようと思ったのかというと、ブログすら更新するゆとりも心の余裕もないことがどうしようもなく馬鹿らしくなったからです。

やりたくもなく、そして誰にも求められているわけでもないのに週5日働いて、金を稼いで、寝て、死にたくなって。

 

別に多くを求めるつもりはない。

雨風が凌げて一人になれる場所、無料でもアプリでもいいので読める漫画、そして最低限の食糧。

それこそ月8万もあれば充分に生きていける。どうしてダメなのか。

中年の男は週5日で十数万もしくは数十万稼ぐか、どこも雇ってくれないか。そんな生き方しか選べない。

 

働かないとはいっていない。週2~3日、一日8時間未満働こうじゃないか。多くの金はいらない。ただただ、誰ともあわずゆっくりとしたい。

ここまで生きてきて、結局思うのが人と接するのが苦痛。そりゃあ楽しいこともある。隣の席に人にも話かけるし、普通に話している分には普通に楽しい。でも、ふと気づくとすごく疲れている。もちろん相手もそうだろう。

誰かとご飯を食べにいくこと、飲み会に参加すること、とてつもなく苦痛。最近は無理に断るようになってきたら、案の定職場で孤立し始めている。

 

ぶっちゃけた話、この10月で転勤となった。正直今の仕事はいつ辞めてもいいと思っている。青い鳥症候群のつもりはないが、この仕事が自分に向いていないことは確かだ。目の前の人の気持ちすらわからず、怒らせ、接することを恐れている人間が、どうして電話で、対面で接客ができるというのだろうか。

 

多様性!!

この言葉が人の生活を締め付けるようになった久しい。正直、行き過ぎたところも見られなくもないが、基本的には賛成だ。人が誰を、何を、どのように、どうして、どう好きになろうと、嫌いになろうとだれ一人文句を言うことはできない。つけ食われるならば、とどのつまり誰かに、もしくは社会に対してダメージがなければ、人はそれを許容するできだ。

だけど、働かないことも含めた、働き方の多様性はまったくもっと認めてもらえない。ニートを肯定するわけではないが、親に頼らず、国に頼らず、自分で働いた金でニートをして何がわるいのか。はたまた、非正規、派遣の男と聞くと否定的な声をよく聞くが、女性はよくて男はダメな理由はなにか?

それこそ本質的に多様性を否定しているようにしか思えない。

 

とまぁ、そんなことを言っていると、きっと否定するのも多様性といわれてしまうのだろうが、多様だなんだというか、結局のところ私は人とかかわるのが嫌だ。できる限り少なくしたい。そうなると、働く時間を減らすしかない。

 

働く時間が減れば貧するかもしれない。でも、それを含めて、いろんなマイナスを考えても、やはり働きたくない。でも、働かなければ死んでしまう。

 

ぶっちゃけ、死んでしまうのも一つの手なのだが、私は誰よりも愚か者だから死ぬのも怖い。以前にも書いたが消えてしまいたい。そんなくそみたいに甘えた言葉しかでてこない。

 

自分の存在意義なんてない。今更、それを求めようとも思わない。

だけど、ただゆっくり生きたい。泣かずに、苦しまずに、そんなプラスマイナスゼロの生活をしたい。