一人でいることを認めない国 日本
日本には「和」という言葉がある。
それは色々な所で使われていて、協調という意味で使われていることが多い気がします。例えば、和を乱す行動とか・・・。
言葉だけ聞くと素晴らしいように聞こえるのが「和」。
しかし、私はこの言葉を嫌いになりそうです。だって、日本人の言う和は強制的に人を和に組み込み、個人を排除するからだ。
リア充という言葉がそれだ。誰かと遊ばない奴はゴミ屑。ボッチはウンコ以下。だから、人と関わらない奴は苛めてもいい。苛められても仕方がない。苛められる奴に理由がある。・・・・・・。
気に食わないなぁ。そもそも日本人の和は誰かを輪から弾いて、そいつを目の敵にすることによって成り立っている。ボッチを見下すことで優越感を得る人が多い。
確かに協調性は大切だ。社会で生きて行くには、絶対に忘れてはいけない。でも、一人でいることを好むからといって、協調性がないとは思えない。
でも、そういう風に解釈する人は少ない。遊びの誘いを断る奴は協調性のないダメ人間らしい。
では、聞きたい。何故、君たちは遊びにいくのか、と。楽しむためでしょ?
なら、何故行くことを強制する。楽しめる人達だけで行けばいい。
少し前に友人が言っていた言葉がこれだ。
「みんな行くのに行かないのはおかしい」
みんなが行くから行くの? 我慢してまで行くものなのかな?
我慢してついてくる人間がいて、いったい誰が得をするのだろうか?
ただ集まって、私達は仲が良いと思い込みたいだけなのではないのだろうか?
誰も得をしない協調性を「和」というのならば、そんなものクソくらえ!
時には我慢して和を保つことが大切だろう。でも、常日頃からそれを強制され、楽しくない人生を送るのもまっぴら御免だ。
みんなが好きな選択肢を選べばいいじゃないか。誰かが傷つき、誰かが大きく損をするわけでないのならば、・・・好きに生きたらいいと思う。