一人ぼっちという生き方 世間と乖離して生きる

思いついたことを書きますので悪しからず

私が自死するまでのリアルな20日間(自殺シミュレーション5日目)

5日目

 

目が覚めるとやっぱり吐き気と腹痛が酷い。それでも今日だけ頑張れば4連休である。なんとか、最低限の仕事を終わらせるしかない。

 

いつものように吐き気と腹痛をこらえて電車に乗り、会社へと向かう。気のせいだろうか。吐き気は少しづつ減っていくが、腹痛は一歩進むたびにひどくなっていく。過敏性腸症候群と診断されてからどれだけたっただろうか。

薬もあるが、効いているような効いていないような。結局、薬も気持ち、つまりはストレスに勝てないのだろう。

 

一番乗りだった。まずはログインをして、その間にプリンターの電源、そして書棚のカギを開けていく。

席につき、水を一口。大きく深呼吸をして現状を考える。昨日は昼休み返上、死ぬ気で働いたからか、想像よりも進んでいた。さて、今日も昼休み返上で今から死ぬ気で働けば、今週やらなければならない仕事は確実に終わり、うまくいけば、引継ぎに向けて事業をある程度進めることができるだろう。

 

そんなこんなで仕事をはじめると、ぽつりぽつりと人が来る。朝礼が終わると、なぜか部長に呼び出された。

 

理由は挨拶がなっていない。声が小さいということかと聞くと、自分のもとに挨拶が来ていないとかなんとか。そのあともなんかいろいろ語っていたけど、普通は後から来た人が挨拶をして、先にいる人が返す。

なんで、一生懸命仕事をしている中で、無言で後ろを通ったらしい部長に挨拶をしなければならないのか。挨拶をされてるのに無視したというのならわかる。

だめだ、朝から不愉快な気持ちだ。というか、もうなんだか、こんなしょうもない注意一つで泣きそうになるくらい、死にたくなるくらい自分の精神は不安定らしい。

 

ふと、思う。自分はすごくできる人間ではないけど全力で頑張った。忙しい人がいれば手を貸すようにしてきたし、誰かが残して帰ることはなかった。

事業も最高とはいえないものの、それなりに円滑に進めてきた。では聞きたい。その頑張りは誰が認めてくれるのだろうか。どんなに頑張っても、明らかに仕事にやる気がないが、上の人間に好かれる人が評価をされる。

 

ダメだ、マイナス思考が止まらない。普段なら自分が評価されないこと、ごますりのうまい人間が出世することは、それはそうだと納得できるのに。

もともと不安定な心を部長の軽い注意で揺らぎ、自分を抑えきれなくなっている。少し嫌なことがあると、自暴自棄というか、悪い方にしか考えられなくなる。

 

一旦忘れよう。なんとか仕事に集中しよう。・・・きっと涙を必死にこらえてるからまた、目が赤いんだろうな。ばればれかな。

結局お昼前まではなかなか集中できなかったが、業者とのやりとりをしていくうちに、だんだんと集中モードに入っていった。

 

でも、フラッシュバックするように、誰かに言われた何気ない一言や注意されたしょうもないことが心拍数をものすごくあげる。私はそもそも心拍数は普通のはずなのに、誰かといるときはめちゃくちゃ早くなる。それだけでも、ストレスなのに。

 

なんとか就業時間を超えた。部長がまだ残るのかよ自己管理できてないなと言ってきたので、お疲れさまでしたときっと苦笑いだっただろう顔で言ったら、苦笑が聞こえてきた。挨拶はどうしだんだよ、馬鹿野郎。死にさらせ。

 

また、フラッシュバックしてきたが、必死にこらえて仕事をつづける。今日は誰になんと言われようと2時間30分(職場で許される最大)残業する。

 

もちろん、上司にごちゃごちゃ言われ、またまた嫌な気持ちになり、死にたく、殺したく、なんとも言い知れぬ気持になったが、それでも必死に仕事をし、なんとか辞めるまでにやっておきたい仕事の最低限の目途にたどり着く道筋が見えるまで進めることができた。

 

今日は電車に乗らずに家に帰ることにした。徒歩だと1時間30分程度。普段は絶対に歩かないが今日くらいはいいだろう。

今日あった嫌なことに対し、頭のなかで精一杯正当化を繰り返した。それでも来週の出勤時は部長やその上の人間には挨拶に行かなければいけないと思うと気が重い。まぁ仕方がない。どうしようもない。今は忘れよう。

 

そんなことより、明日のことで。下見だ。明日は公共交通機関を使って3か所下見をしたい。明後日は原付でだ。

早めに家を出て、ちゃんと確認しておかないと怖い。

帰り道でファミレスによることにした。そこで、ドリンクバーと今日最初でさいごのご飯を頼んだ。

ご飯をあっという間に食べ終わり、ゆっくりと検索する。

マップと乗り換え案内を駆使し考える。ついつい安い道で考えてしまうと、最寄り道から目的地までの移動時間を考えると、なかなかに厳しい日程だった。

後ろ髪をひかれる気持ちもあるが、特急を使えば、比較的余裕をもって、移動できる。

朝6時30分発の電車に乗ることにしよう。仮に早く起きれればもっと早く、遅くなってもまぁ、時間的には余裕がある。運がよければ、残り2か所も見れるかもしれない。その場合は、帰りは12時を超えるが、次の日もその次の日も休みだ。まぁその日の体力によるとしよう。

 

何にしても、金曜日と比べれば気は楽だ。財布さえあればあとは着の身着のままでも構わない。金曜日は3か所かつ原付と考えれば、10時過ぎに出ても余裕だ。まぁ。慌てずゆっくり行こう。

 

少し軽くなった気持ちで店をでるとふと思った。冷静になってもやっぱり死にたい。死ぬために行動することに罪悪感がないどころか、ここ最近で一番生き生きしている自分がいる。

 

ふと、夜空を見上げる。別に詩的なことがこぼれるわけでない。涙もこぼれない。ただ、もうすぐ楽になれるという気持ちと、死ぬことへの恐怖が入り混じっていた。

私が自死するまでのリアルな20日間(自殺シミュレーション4日目)

自殺シュミレーション4日目:今後の流れを確認しつつ仕事をする

 

今日も何回も夜目が覚めた。軽い吐き気がここ数年なくならない。常に体調が悪い。お腹が痛い。それでも今日も会社に行く。

たった数駅なのに気持ち悪くて2回降りて吐いた。さすがに途中で降りて吐くほど気持ち悪いのは月に1~2回くらいだ。

これも腎臓が悪いからだろうか。・・・もうどうでもいい。なんでもいい。すべて投げ出したい。

 

会社についたのは始業の2時間前だった。今日は始発で家を出たので、2回降りても余裕すぎるくらい余裕だった。また、5分ほどトイレに行き、少し気持ち悪さも改善された。それでも重い体を動かし、いつものように準備をする。

 

結局、仕事にとりかかれたのは着いた30分後だった。必死に仕事をしていると、誰もいない静かな空間のためすごくはかどった。電話もなく誰の目もなくすごく穏やかな時間だった。

それから少しづつ人が入ってきた。また、一日が始まると思うと額に汗がたまってくる。死にたくて死にたくて震える。

 

朝会が終わり、また仕事が始まる。また、電話が勢いよくなり始めた。また、頭おかしいとか、死ねとか、わけのわからないクレームばかり。

 

思うだけで気持ち悪くなるので、大きく深呼吸をし、今後のことを考えながら仕事をした。

 

さて、有休をとれたのだから、木曜日には3か所、できれば予備を含めて5か所は下見に行きたい。金曜日は原付でいくしかない。・・・木曜日は移動で忙しいから、今のうちに原付の練習にもう少し慣れておくとしよう。なら、これから終業後は2時間くらいがんばるしかない。・・・怖いな。自分が死ぬのはいいけど、間違っても相手を傷つけるようなことはしてはいけない。自分と違って、相手は未来ある、必要とされている人間の可能性が高いのだから。

 

ただ、木曜日に5か所も回れるかは疑問だ。場合によっては、木曜日は本命3か所、金曜日はその3か所に原付で向かい、残りは場合によっては土日に行ってもいいだろう。無理をせず、確実にこなすことが大切だ。

 

それに、よく考えたら家の解約、会社の退職手続きも急いでしないといけない。でも、・・・やっぱり死に場所、死に方、すべてを自信をもって確定したといえる時に行うことにしよう。もし、ありえないとは思うけど、本当にもし生きていた、もう少し頑張ってみようと思えるのならば、その道も自分のために残しておいてあげたい。

すべてを失った後では、生きたいと思ってもどうしようもない。

 

だから、家の解約は下見の後、・・・土曜日に、遅くとも来週の月曜日に電話することにしよう。

会社は・・・まぁ、2週間前までが最低限の法律だが、まぁいい。2週間とか、2か月以上と相手が譲らないのならば、それを受け入れたふりをまずして、実際は死ぬ前日に退職、とするような退職届を用意しておこう。

そうすれば、会社としては、それを以前に受け取っていたことにするだろう。そうすれば、退職した人が自殺したことになるからだ。この会社は身の保身だけは超一流だから、自殺前の退職届があれば、何も言わなくても使うだろう。

もちろん、やめると伝えるときも、自殺日の前日を強く推しておく。そうすれば、相手の罪悪感も消えるだろう。

 

まぁ、この会社は正直かなり嫌いだからどうでもいいが、それでも仕事のできない自分を拾い上げ、毎月生きれるだけの給料を支払ってくれていたわけである。その最低限の恩には最低限の恩で返さなければならない。

 

よし、だんだん決まってきた。原付の練習。次に下見。それが決まれば、家の解約。合わせて、電気ガス水道、カード・・・すべてを止めなければならない。お金もすべて下ろしておき、遺書と一緒においておくとしよう。死ぬ場所の自治体に寄付しよう。いくら、放置物件といえども、そこで人が死ねば迷惑千万なのは言うまでもない。

数百万しかないが、それでもないよりはましだろう。

 

そういえば、本番はヘリウムも持っていくわけだ。精度の高いシミュレーションのためにも、それと同じ大きさ、重さのものをもって歩かなければ意味がない。

 

やるべきことはいっぱいある。今できることを一つ一つ片づけていくとしよう。

 

そんなことを何度も何度も考えながら仕事をしていたせいか、あっという間に就業後、そして2時間の残業を終えた。また、ご飯食べれなかった。

 

急いで家に帰り、少しだけお腹にご飯をつめて、原付に乗った。震える手、体。ゆっくりと深呼吸をし、原付を走らす。

 

初めは2段階右折になれなかったけど、だいぶましになってきた。あんなに汗だくだったのに汗は引き、逆に秋風が肌寒い。

途中で原付を止め、自販機でホットココアを買った。こんなに暖かくておいしいココアは初めてだった。

 

空を見上げると星が見えた。だけど空が汚いからか、子供のころ田舎で毎日見ていた星空には遠く及ばない。

 

虚しさやさみしさを感じつつもまた原付を走らせた。

このまま夜の闇に消えてしまいたかった。だけど、そんな神隠しが起きるはずもなく普通に家に戻ってきた。

 

すると、宅配ボックスにヘリウムが届いていた。想像よりも断然に早く届いた。だけど、これはぎりぎりまで保管しておこう。下見の段階でもしも職質をくらい、ヘリウムを持っている理由を聞かれたら絶対にキョドる。自信しかない。

 

部屋に持ち帰り、なんとなく開封した。特に問題はなさそうだが、想像よりは小さかった。説明書を読むと、うん、取り扱いはすごく簡単だ。

 

説明書に危険の文字が見えた。人体にはやはり悪影響だから、子供が吸わないところにしまえとか、何かあれば医者にどうのこうのとか。

普段はあっそうとしか思わない注意分だが、今日だけはひどく心にのこった・

私が自死するまでのリアルな20日間(自殺シミュレーション3日目)

3日目:会社へ出勤し自死願望を再確認する

 

目が覚めたのは6時30分だった。結局、あれこれ考えて少なくとも3時過ぎまでは眠ることができなかった。

 

朝から気持ち悪い。朝起きると頭が痛くて気持ち悪い。イライラと吐き気の狭間をうろつきながら身支度を済ませる。

 

扉を開けると空は明るかったが、もう秋だからか、以前よりも日が低いように思える。少し肌寒くなってきた。

階段を一段一段踏みしめる。いつもの道程を無言で歩き電車に乗る。できる限り何も考えないようにしていた。今日は運がいいのか座ることができた。

だいたい10分程度。帰りはあんなに長く感じるのに、行きはすぐだ。このままどこまでも続いたらいいのに。ずっと座っていたい。

 

電車を降り、改札を抜ける。まだ7時過ぎだというのに人が多い。人の波に乗り、一歩づつ歩みを進める。

考える。どの時点で有休をとろうかと。まずは、直属の係長に、そして課長に申請をしなければならない。朝一は厳しい。なら、残業時間しかないだろう。残業時間なら、契約社員派遣社員は全員いないはずだ。人が少ないなら話も切り出しやすい。

 

まだ、考えているだけなのに心臓が高鳴ってきた。もうつらい。でも、歩いたからか気持ち悪さは少しなくなってきた。

 

そんなことを考えているとあっという間に会社についてしまった。いつも通りお腹が痛いので、トイレで5分間。

まだ、お腹が痛いが延々と痛いのでここで切り上げる。

会社に入ると、まだ3番目。あの二人はいつも早い。部署では一番乗りだ。いつも通り、プリンターの電源をつけ、席に荷物を置き、パソコンにログインする。ログインまでに時間がかかるので、その間に部署のロッカーのカギを開ける。

 

すべて開け終え席について、水筒の水を飲む。ふぅと息を吐くと、係長が入ってきた。おはようございます、とひとまず挨拶すると、おはよう、と返された。

特にそれ以上会話することもなく、書類をロッカーから出し、今日の仕事の確認及び今月までに仕上げたい仕事の進捗を確認する。

そして、最後に今後やらなければならない仕事の確認をした。

 

自分がやらなければやばそうな事業が5件、自分でやっといたほうが楽なのが2件、最悪は自分がやらなくても簡単に引き継げるだろうものが3件。

 

有休をとってもだれが自分の仕事をしてくれるわけではない。朝早く来て、昼休みを5分しかとらず、制限された残業時間内で終わらせなければならない。

 

思わずため息がこぼれた。死にたい。ぽつりと誰にも聞こえない大きさでつぶやいた。

そんな声に関係なく、一人また一人と職員が出勤してくる。おはようございます、と誰に向けたわけでもない声に、律義におはようございます、と返しつつ、仕事に取り掛かる。

 

有休をとる!! そのためだけに、今日は死ぬ気で働いた。昼休みは一分もとれなかった。そして、就業時間が過ぎ、一部の正規職員を残し皆が帰宅した。

 

私は今日の仕事の状況から逆算をし、なんとかなるだろうと自分に言い聞かせて、係長に声をかける。

忙しいのだろうか怪訝そうな顔をしていた。今週の木・金と有休をとらせてほしいと頼むと、一瞬顔つきが変わったが、了解とだけ言われた。

 

そんなものである。ブラック企業ではないので有休は申請すればとれはする。ただ、仕事ができない私は取りづらく、言い出しづらいだけの話だ。拒否されたという話は聞いたことがない。それは私も例外ではなかった。

 

ほっと、胸をなでおろすと同時に急激な恐怖に襲われた。二日減るということは、1日当たりの仕事量が増えるということである。しかし、残業時間は限られていて、1日2時間が限度。となると、明日からはもっと朝早くに来なければならない。

 

ふと、泣きそうになった。なんで、死のうとしているのに、仕事を終わらせなければならないのか。でも、自分が仕事を投げ出せば誰かに迷惑がかかる。外部業者や同僚にも。嫌いな人だけに迷惑がかかるならいいが、お世話になった人、苦しんでいる人にもっと負荷がかかることになる。それは本意ではない。

 

だから、最低限だけど自分が納得のいくところまでは終わらせ、どうしようもない、年間を通した事業やそもそも自分が担当かすらも怪しいものは投げ捨てさせてもらうとしよう。・・・引継ぎ書は作っておくとしよう。

 

残業時間の2時間はとにかく仕事が進む。電話もならないし、誰かから質問をされることもない。とにかくチャチャが入らないので仕事が進む。

 

2時間過ぎると早く帰れと言わんばかりか、上長達が帰り支度を始める。それに呼応するようにみなが支度をする。・・・私も帰るとしよう。

 

頭が痛い。目が疲れた。今日も電話で死ぬほどクレームを言われた。係長とは性格も何もかも合わない。つらく当たられる。というか、仕事したくない。でも迷惑かけたくない。頑張りたくない。でも、人より遅いから人より仕事しないとどうしようもない。

 

仕事辞めたら幸せだろうか。一時的にはそうかもしれないが、すぐに貯金がつきて就活。全然見つからず苦しむのだろう。

 

電車に乗り、最寄り駅についた。家までは10分もないが、どうもまっすぐ帰る気がせず、家を通りすぎて近くの神社に向かった。別に何を祈るわけでもないが、お参りをし、近くのベンチに腰をかけた。

 

涙がこぼれ落ちた。理由は分からない。とにかく言えることは生きていたくない。

でも、今週はあと2日の出勤のみ。もう二日だけ。今日は頑張ったからあと二日だけ頑張ろう。

重い腰を上げ、近くのスーパーで買い物を済ませて帰宅した。風呂に入りご飯を食べ、寝転がった。もう何も考えたくない。そっと目をつむった。

 

何も考えず時間だけが過ぎていったので、トイレに行き、今日はもう寝ることにした。

 

 

私が自死するまでのリアルな20日間(自殺シミュレーション2日目)

2日目:死に場所を決める

 

ただただ疲れていたのだろうか、気を張っていたのだろうか。起きたら深夜の3時だった。仕方なくもうひと眠りしたが、朝の5時。ある意味規則正しくなってしまった。

 

大きく一つあくびをして現状を振り返った。一晩寝るとやっぱり死のうという気持ちが少し色あせてくる。でも、すっと息を吐き、明日から仕事であること、これからの未来、これまでの人生を振り返るとどうしようもなく死にたくなる。朝一から発狂しそうになる。

 

出そうになる叫び声を必死にこらえて、大きく深呼吸をした。

死に方は決めた。なら、ある意味で最も問題になる死に場所だ。

家の中では死ねない。無関係な大家さんにどれほど迷惑がかかるだろうか。隣や下の部屋の人も何とも住み心地の悪いことだろう。死ぬこと自体迷惑なことはわかっているが、あまりにも申し訳なさすぎる。

だとすればだ。業務用のヘリウムガスを使っていればそれなりに音が出るわけだ。誰にも見られず、さらにある程度音がしても大丈夫でなければならない。

 

第一候補は人のまばらな公衆トイレである。もちろん迷惑なのは当然だが、それでも私人や企業に迷惑をかけるよりも、国や自治体の方がまだましだと考えるからだ。家で死ねばもちろん警察や役所、そして大家、管理会社に迷惑がかかる。もちろん隣・近所にもだ。ただ、公衆トイレならば、少なくとも隣近所には迷惑はかからないことはないだろうが、それでもといったところだ。特に人家から離れたところを選べばましだろう。

 

それなら山奥で死ねと思うかもしれないが、山というのもなかなかややこしい。私有なのか公有なのかが判断つかない。ついたとしても、見つからなければ失踪となってしまい、捜索に無駄な金もかかる。

 

行き詰ってきたので、お得意のネットサーフィンだ。崖とか樹海とか。これは死に方によってはいいかもしれないが、ヘリウムガスで死のうとしている人間には良いとはいいがたい。

そこで、ふと目にしたのが廃墟だ。なるほど。よくよく考えたら綺麗なところで死にたいわけでもないし、あとは壊すだけのところなら迷惑はさらに小さくなる。

 

調べてみると、自治体所有の建物でも取り壊しや耐震補強工事の予算を捻出できず放置されているものが多々あるようだ。ちょっと安心した。死に場所というのは存外難しいからだ。

立ち入り禁止の廃墟の来る普通の人間はいない。いるとすれば、それは不法侵入している脱法者なのだから、死体を見てトラウマになったとしても、まぁ仕方ないと言えなくはない。

自治体が放置している建物を必死に探した。

いくら廃墟といっても、やっぱり人が住んでいるところから多少離れていた方がいいだろう。いくつか候補はあるが、どうもどれもあと一歩しっくりこない。

なんとなく、その中で第一、第2と決めた。

お腹がすいたのでコンビニで食糧調達をし食べることにした。

食べながらもやっぱり心はもやもやしていた。おにぎり片手にまたパソコンに向かう。

ようやく、おっ、となる場所を見つけた。

見た感じ、林というか山というか。その建物は木に囲まれている。でも、ちゃんとその建物へは一本道となっているようだ。それでいて、そこはしばらく放置されているのか、その一本道は草が生い茂っている。もちろん、人が歩ける程度だが。

 

その建物の住所を調べ、マップで検索をしてみた。どうやら住宅地から1キロ程度は離れているようで、おそらく昔は子供達を集めて自然教室でも開いていたのだろうと予想される。

しかし、少子化の現代、その村だか町からは人が減り、そのまま放置されることになったのだろう。

その村だか町だかは限界集落ということでもなさそうだ。2~3時間に一本だが電車も通っている。その駅から建物までは1時間ちょっとくらい。マップではそのようにでるが、どうも多少の高低差もあるようなので2時間見ておくことにしよう。

 

一か所良いところがみつかると、うそのようにいいところが見つかりはじめた。やっぱり一番最初に見つけたところがよかったが、2、3番手もまったくもって悪くなさそうだ。

ビビりな私は主力3か所と、念のため2か所をスクショした。

気が付くと夕方でそらは赤くなっていた。

 

流石に頭が痛くなってきたので、ショボショボな目で散歩をすることにした。明日から会社だと思うと涙があふれそうになる。

 

忘れようと強く頭を2度横に振り、また考えはじめた。あの3か所は間違いなく良い場所だ。でも、念のために下見をしたい。そのためにはどこかで有休をとりたい。今まで仕事できないやつが有休をとるのが申し訳なくてほとんどとれていなかった。勇気を振り絞ってとろう。可能であれば2日間とってやろう。うん。

 

休めると思うと少し心が軽くなる半面、有休を切り出さなければならないことを考えると緊張で心臓が高鳴った。

 

ふと、思った。時間はどうしうようか。下見はまぁ、適当でいいだろう。別にさっと行ってさっと帰るだけ。人も通らないだろうし、通ったとしてもまぁ、はじめて見る顔だな、怪しいなくらいにしか思わないだろう。その日はすぐに家に帰るわけだから、通報ということもあるまい。

 

でも、死ぬときは難しい。もしもその建物に入っていくところを見られ、出てこないことがばれたら。中途半端に怪しまれ、通報されたらどうしようもない。

とくにそれが変に真夜中に車がとおり怪しい奴が廃墟に入っていったら気持ち悪くて仕方がないだろう。

 

ならば、だ。もっとも人通りが少ないと予想されかつ出歩いていても怪しくない時間。通勤時間帯を避け、10時~15時までだろう。ただ、午後の微妙な時間になると子供の送迎といったことも考えられる。ならば、逆に午前中。10時~11時くらいにしてみるのもいいかもしれない。

 

いや、でもこの村だか町だかはおそらく農業従事者が多いと思われる。とすると、農作業の時間帯を避けるべきだ。農作業をしない時間帯。昼時を狙うことにしよう。

 

そしてそこまでたどりつく道だ。私は車が運転できないので行くとすれば自転車が電車か徒歩だ。ただ家から50キロは離れていることを考える。

そういえば、業務用のヘリウムガスをもっていかなければならない。しかも二つもだ。一つは下見の時にもっていっておいてきてしまおう。たぶん隠す場所くらいはあるだろう。

 

となると、やっぱり徒歩は無理。というか電車だとしても駅から2時間近い道を重い荷物をもって歩かなければならない。タクシーも使えない。大きな荷物をもって自転車に乗ったらもっと危険で、田舎道に入る前に職質される可能性もある。

 

2時間歩く。重い荷物があることを考えると台車を使うことになる。大きな音を立てて転がすわけにもいかない。・・・仕方があるまい。10年以上運転していないが一応免許は持っている。原付を買おう。荷物は背負う形でなんとか頑張る。

まぁ、行きだけだし、不可能ということもあるまい。基本は田舎道でだれもいないわけだから、ちょいちょい休憩をはさみながら頑張るとしよう。

 

そういうわけで善は急げ。近所のバイク屋で原付を買った。中古で5万円でなんだか見た感じ馬力がありそう。原付がなんなのかすらよくわかっていないが、買うことにした。カード持っててよかった。

 

といっても原付になど乗ったことがない。少し練習した後に初めは荷物を持たずに下見に行こう。そのあとにもう一度荷物を持っていこう。・・・なんか何をしているんだろうか。すごい労力を使っているような。

 

ばかばかしくて笑えてきたけど、一生懸命考え没頭するこの時間は言うほど嫌いではなかった。

運転するのは怖かったので、ひとまず家まで押して帰った。

そして風呂に入り、眠れもしないのに布団に入り、目をつむり死ぬことと明日の会社のこと、有休を切り出すイメトレを延々と繰り返していた。

 

2日目:死に場所仮決定

自治体所有の廃墟。住宅からはほど遠く、人目も少なそう。家から50キロ以上離れている。

原付購入(要練習!!)

 

私が自死するまでのリアルな20日間(~自殺シミュレーション1日目~)

先に言っておきます。これは自殺をすすめる記事ではありません。そして、実際に私が今すぐ起こす行動ではありません。あくまで、妄想です。

私は弱い人間です。いつでも死ぬことができると思うからこそ、今日を生きることができるところがあります。ようは死ぬ気になれば何でもできるという言葉で少し弱まったところでしょうか。つまり、これは生きるためのシミュレーションともいえるかもしれません。そういうので気分が害する方はこれ以降は見ずにそっとブラウザを閉じてください。

 

死にたいと思うけど怖いですよね。それはどんなものかわからないから。首吊りといっても・・・

というわけで、もし自分が死ぬとしたらどういう行動をとるのか、一から妄想してみたいと思います。

ちなみに、これは複数回で完結します。

 

 

まず、自殺を決意したところからスタートです。突発的ではなく計画的自殺とします。

そうでないと話が早すぎるので

貯金は数百万、家は賃貸、両親は生きている、兄弟姉妹あり(2人)、一人暮らし独身、彼女・友達なし。仕事は正社員(営業事務系)

これが私の現状です。

 

 

一日目.自殺方法の選定

頭の中ではヘリウムガス自殺と何んとなく思っています。ですが、カリウムの静脈注射も気になるし、手っ取り早さを考えるなら首吊りなんかも頭をよぎる。

夜も寝ずにネットサーフィンで、ヘリウムガスの楽さを調べつつ、カリウム注射の注射器やカリウムの取得の面倒くささや、静脈への注射の技術的なことを調べます。そして、念のため首吊りのやり方、失敗した時の後遺症を調べます。

 

流石に疲れてきたので、いろいろな死に方を調べてみたり、自殺サイトをのぞいてみます。練炭自殺や飛び降りなんかも有名だけど、やっぱり苦しそうだし後遺症が。電車への飛び込みなんかは一瞬で死ねそうだ。だけど、めちゃくちゃ迷惑かかる。だけど、死ぬときくらい迷惑かけたっていいじゃないか。どうせ死んだら迷惑かかるし。

でも、やっぱり。・・・まぁ、一つの案としてとっておくとしよう。

 

やっぱりなんだかんだ言ってもヘリウムかな。

 

というわけで、ネットで純正なヘリウムを探します。高!! つい思ってしまいましたが、だけど死ぬわけだし別に高いとか安いとかどうでもいい。

 

だけどなんとなくいつもの癖で複数のサイトで安いものを探してしまう。ふと、わらいがこぼれる。自分はどこまでも小心者で本当は死ぬ気がないのではないのか。

 

そっと目をつむり自分に問いかける。お前は死にたいのかと。答えはNoだ。消えてしまいたいので。そもそも存在しなかったことにしたいので。あのこともそのことも、すべて存在した事実するも消してしまいたいので。

 

だけどそれは不可能だ。唇をかみしめているとついつい過去を思い出す。人に騙され、毎日親や教師に叱られ続け、幼くして社会から脱線し、同級生からは嫌われ、友だちなんて一度もできたことがない。それでも勉強はまぁ平均くらいにはできたので、馬鹿な高校でトップクラスの成績をとりいじめがなくなった・・・それでもトップを一回もとれなかったのが私らしい。

大学に入る直前には、家庭半崩壊。それは私が社会を脱線した原因に起因する。もはや、家族関係もバラバラだが、自分の気持ちはもともと遠くかけ離れていたためどうでもいいが、それでも心にくるものはある。

ぎりぎり2流といえる中途半端な大学にいって大学生デビューを目指すもあえなく失敗。それどころか友達になれそうと思っていた人に痛烈な言葉を浴びせられ、結局心に闇を抱えボッチ。

大学の成績も悪くはなかったが、教授とコミュニケーションがとれずに仕方なく就活をはじめた。

連敗につぐ連敗。グループ面接後のエレベーターで、思い込みとか被害妄想なしでこっちを指さし笑われた。

 

そして、なんとか志望度の一番低いところの内定を得る。大学院に行きたかったが教授とコミュニケーションとれないからあきらめるとしよう。

 

緊張しながらも入社。いきなり上司に怒られる。理由は就活時の履歴書がおかしいだあ~だこうだ。今更言うな。面接のときに言え。同期は一人同じ部署だが、女の子だからかめちゃくちゃ褒められ、私はめちゃくちゃけなされた。気分悪いな。まだ仕事何にもしてないのにどうしてそんなに言われなければ。まだ1時間もたってないのに。

クレームがめちゃくちゃ多い職場だった。教育係がため息ばかり、怒られはしないが目が蔑んでいたのをよく覚えてる。すごく苦しかった。同期は決して仕事ができるわけでないのに、上司のお気に入りでほめられる。私は常にけなされる。つらい。

しかも、若手の仲が良いのが売りなのか、みんなで旅行とかあったり・・・。断れず行く。一人浮いて、とにかくとにかく苦しくて、お金と休日が消えていった。

仕事が慣れていったところで部署がかわった。私が仕事できないからだろうか?

1年おきに部署がかわる。また、一から覚えなければいけない。苦しい。クレームが多すぎる。誰もでないからでるしかない。

吐きそう。半年過ぎたあたりから体がおかしくなった。IBSらしい。

 

何度もやめることを考えた。でも、ぎりぎりのところで踏ん張った。とかいいながらも転職活動もちょいちょいしていたが、面接が下手というかコミュニケーションをろくに取れないやつが、片手間の就活で内定とれるわけもない。つらいなぁ。

 

3年目になりさらに悪い方に転機が訪れる。また異動で一から勉強。その2か月ごに上長の異動。新しく来たやつがひどすぎる。目の敵とはこのことだろうか。はきそう。偉そう。怖い。しんどい。まじで死にたい。

 

そして私は倒れた。吐いた。それでも何かが怖くて休めなかった。なんとか歩き、一駅ごとに降りて吐いて電車を待った。それでも頑張って会社にいった。いつもかなり早くでてるので会社には間に合った。顔面蒼白。吐き気だけでなく、急激な鈍痛が腹に走った。半泣きで席についた。流石に帰れといわれた。これから上長が少し優しくなった。人間倒れてみるものだと思ったが、この時には腎臓がおかしくなっていた。この年の健診から腎臓がほぼ100%引っかかるし、腹痛以外の体調不良も増えた。それでも会社には休まず行ったが、会社で吐くことも多かった。

 

そして、次は転勤。またまたまたまた異動というやつだが、次は場所すらもかわるので引っ越し。少し楽しみ。

 

・・・異動先の部署では車の運転が必須だった。私はペーパーの中のペーパードライバー。免許をとって十数年一度も運転していない。

何度も掛け合ったがだめだった。一回運転してみたら、顔面蒼白、汗びっしょり。

当たり前だが仕事もうまくいっていない。それは変わらずだが、運転が入ることでもう限界。

人間関係ももちろん今まで通り。

やめること、転職も考えた。だけど、思った。そもそも生きていたくない。それは常々思ってきたことじゃないか。いい加減覚悟を決めろ。死のうぜ。

 

転職した自分が苦しんでいる姿はすぐに思い浮かぶ。自分の性格、ぼろぼろになった内臓、毎日お腹が痛い。三十数年生きれた。

貯金はそこそこある。これだけあれば一年間はゆっくりできる。やりたいことができる。だけど、もうやりたいこともない。もともとやりたいことなんてないか。

 

もういいか。

 

思い出していると涙がでてきた。よし、うん。

というわけで、もう一度ネット通販を見直し、自殺サイトを調べ、値段を気にせず、サイトやブログでおすすめのヘリウムガスを必要量といわれる2倍買うことにした。やっぱり念には念を入れるタイプなので。ついでに、おすすめにあったロープも買うことにした。

 

購入を終えると猛烈な睡魔が襲ったきた。20時から調べていたはずなのに、もう明け方である。よし、トイレにいって今日は寝よう。

 

寝ようと思うのだが、なんだかんだで頭だけが何かを考えている。ひとまずは明日あさっては休みだ。でも、また来週は仕事だと思うと吐きそうだ。死ぬんだし、休めばいいんじゃ・・・。いや、最後なんだ最低限迷惑をかけないように死なないと。

 

やらなきゃいけないことは、仕事を辞めて、賃貸解除して、お金全部下ろして、携帯とかクレジットとか全部解約しなきゃ・・・めんどうくさい。全部投げ出したい。どうして・・・・・・こんなに考えすぎてしまうから死にたいのか。・・・最後まで難儀な性格だなぁとかなんとか思いながら眠りにつく1日目

 

1日目:終了事項

自殺方法選考

有力:ヘリウムガス、次点:首吊り、大穴:飛び来み、飛び降り、 憧れ:カリウム静脈注射

ネットでヘリウムガス購入。1週間くらいで届くらしい。

 

筆者感想:ここまで余裕があるかは別として、行動としては間違いない。今までもネットで散々調べてきたが、ビビりな私は間違いなく自分に暗示がかけられるレベルまで調べて自分をねじ伏せる。それに、過去をあえて思い出して、さらに自殺願望を強固にすると思います。いざ、死ねなくなるのが嫌なので。私はやると決めたら行動は早いタイプなので、必要備品の購入は間違いなくその日のうちに済ませます。

ここからはもしかしたら願望かもしれませんが、できれば誰にも迷惑かけずできる限り手続きを終えたいと思ってます。

 

というわけで、②に続きます。

もっと苦しんでいる人がいるという欺瞞

あなたより苦しんでいる人がいる。

世界では明日を生きることができない人がいる。

生きたくても生きれない人がいる。

自分が一番苦痛だと思うな。

 

私にはまるで理解できない言葉たちだ。

そりゃそうだろとしか言いようがない。誰かの物差しで測ればちっぽけな問題も、自分の物差しで測れば大きな問題だ。

 

そこで人は平均とか普通とか言った言葉で物事を図ろうとする。実際問題、その普通というのも偏見であふれているものなのだか、それは置いておくとしよう。

世にいう、普通で考えれば日本人の大半は幸せだろう。基本的に平和で、安全で暖かい寝床があり、お腹を膨らませることくらいはできる。

 

それだけで、たぶん、一般的に言えば、というか世界的な基準で言えば恵まれているわけだ。

でも、たくさんの人がつらそうな顔をしている。幸福度調査ではいつも下位だ。

 

まぁ、普通という言葉がどれだけ意味がなくて、苦しみがどれだけ不変的でなく、主観的に変化するものであるかということだ。

誰かにとって苦しいことが、誰かにとっては楽しいことがある。仕事にも言えるだろう。目立つことがにがてな人が芸能人なんてできないし、目立ちたい人・人と接したい人が黙々と工場のラインで作業するのは苦痛だろう。

 

苦しみになんて誰とも比べられない。

結局のところは、誰がなんて言おうと自分が苦しければ苦しい。

貧困に見える国でも幸せに暮らしている人間はたくさんいるだろう。

 

苦しみや悲しみ、楽しさ、そういった感情を誰かと比べて順位をつけることほど馬鹿らしいことはない。

たぶんだが、私より苦しんでいる人間はたくさんいるだろう。だけど、それが何だというのか。一番苦し人でなければ、苦しいと言ってはいけないのだろうか? さらに言えば、自分より苦しい人がいれば自分は苦しくないのだろうか?

そんなわけがない。自分より不幸な人間がいようがいなかろうが、自分が不幸だと思えば不幸だし、なんなら一番不幸と思えばそれはもうきっと一番不幸な人間だ。

 

もちろん逆もまた然りなのだろう。

だから私は言う。生きているのがつらい。叫びたい、吐きそうだ。苦しくて、前が真っ暗で、呼吸をするのも嫌になる。死にたいけど死ぬのが怖くて、そんな自分が愚かでまた嫌になる。本当に消えてしまいたい。安楽死ボタンが欲しい

 

きっと真面目で正義感の強い人は言うだろう

生きたいけど生きれなかった人に失礼だと

 

こんなことを本気で言える人は素晴らしいと思う。これは嘘偽りなく、あおっているわけでもなく、本心から素晴らしい人だと思う。

私はそこまで人のことを考えられないし、考えるつもりもない。

 

残念なことは私が生きる今日が誰かの生きれなかった明日だとは思わない。私の今日は私の今日で、私の昨日からの続きでしかない。その誰かが私の体の中に入って生活をしたとしても戸惑うばかりだろう。まだまだこれからの子供ならまだしも、何十年と生きてきた中年の中に入って、しかもそいつの人間関係はぐちゃぐちゃ。つまりは、見知らぬ人に恨まれ、嫌われ、蔑まれているのである。

そして、あなたが知っている人間は、あなたのことをまるで知らない。きっと変質者を見るような眼をしていることだろう。

 

ちょっと、脱線したので話を戻そう。

要は、結局のところ私は私でしかない。私の人生は私しか知らないし、私の苦しみは私にしかわからない。言葉は不確実で不安定なものだから、思いは言葉では通じない。同じ小説を読んでもまるで違う感想がでる。同じ映画をみても、まるで違う意見を持つ人がいる。同じ言葉でもまるで違う感じ方をする人がいる。

 

言葉なんて無駄で、通じない。さすれば、苦しみなんて通じるわけがない。私にとってはどうしようもないくらい深刻なことも、誰かにとってはかすり傷にもならないことなのだ。

 

要は他者なんて関係ない。世界で一番不幸とか幸せとか言うだけ無駄だ。かなり不幸や幸せを数値化できたとしても、ただそれだけの話で、自分より不幸な人間がいるから自分が幸せになるわけではない。

 

嫌でも人と比べられ、上級だ下級だといわれ、挙句の果てには誰かの作った普通にみんながみんな合わせにいって、弾かれ者を蔑む時代。

 

人の感情まで順位や優劣をつけはじめたら、それはもう本当にデストピアとしか言いようがない。

幸せな人は幸せと叫べ。不幸な奴は不幸と思え。

幸せになりたいなら幸せな人を見るんじゃなくて、自分の幸せを見つけろ。

足をひっぱるな。人と比べるから、誰かの足を引っ張ろうとする。くだらない世の中だ。

 

と、そんなこと言っている自分が一番気持ち悪くてくだらないと思ってしまったので、今日はこのへんで

ゆっくりしたい ただそれだけなのに

超久々の更新です。

なんだかブログを書く気力をもありませんでした。

まぁブログなんて誰に強制されているわけでもないんだし、気軽にゆっくりとやりたいときだけ吐露していければいいかなと。

 

と、なぜ今日に限ってブログを更新しようと思ったのかというと、ブログすら更新するゆとりも心の余裕もないことがどうしようもなく馬鹿らしくなったからです。

やりたくもなく、そして誰にも求められているわけでもないのに週5日働いて、金を稼いで、寝て、死にたくなって。

 

別に多くを求めるつもりはない。

雨風が凌げて一人になれる場所、無料でもアプリでもいいので読める漫画、そして最低限の食糧。

それこそ月8万もあれば充分に生きていける。どうしてダメなのか。

中年の男は週5日で十数万もしくは数十万稼ぐか、どこも雇ってくれないか。そんな生き方しか選べない。

 

働かないとはいっていない。週2~3日、一日8時間未満働こうじゃないか。多くの金はいらない。ただただ、誰ともあわずゆっくりとしたい。

ここまで生きてきて、結局思うのが人と接するのが苦痛。そりゃあ楽しいこともある。隣の席に人にも話かけるし、普通に話している分には普通に楽しい。でも、ふと気づくとすごく疲れている。もちろん相手もそうだろう。

誰かとご飯を食べにいくこと、飲み会に参加すること、とてつもなく苦痛。最近は無理に断るようになってきたら、案の定職場で孤立し始めている。

 

ぶっちゃけた話、この10月で転勤となった。正直今の仕事はいつ辞めてもいいと思っている。青い鳥症候群のつもりはないが、この仕事が自分に向いていないことは確かだ。目の前の人の気持ちすらわからず、怒らせ、接することを恐れている人間が、どうして電話で、対面で接客ができるというのだろうか。

 

多様性!!

この言葉が人の生活を締め付けるようになった久しい。正直、行き過ぎたところも見られなくもないが、基本的には賛成だ。人が誰を、何を、どのように、どうして、どう好きになろうと、嫌いになろうとだれ一人文句を言うことはできない。つけ食われるならば、とどのつまり誰かに、もしくは社会に対してダメージがなければ、人はそれを許容するできだ。

だけど、働かないことも含めた、働き方の多様性はまったくもっと認めてもらえない。ニートを肯定するわけではないが、親に頼らず、国に頼らず、自分で働いた金でニートをして何がわるいのか。はたまた、非正規、派遣の男と聞くと否定的な声をよく聞くが、女性はよくて男はダメな理由はなにか?

それこそ本質的に多様性を否定しているようにしか思えない。

 

とまぁ、そんなことを言っていると、きっと否定するのも多様性といわれてしまうのだろうが、多様だなんだというか、結局のところ私は人とかかわるのが嫌だ。できる限り少なくしたい。そうなると、働く時間を減らすしかない。

 

働く時間が減れば貧するかもしれない。でも、それを含めて、いろんなマイナスを考えても、やはり働きたくない。でも、働かなければ死んでしまう。

 

ぶっちゃけ、死んでしまうのも一つの手なのだが、私は誰よりも愚か者だから死ぬのも怖い。以前にも書いたが消えてしまいたい。そんなくそみたいに甘えた言葉しかでてこない。

 

自分の存在意義なんてない。今更、それを求めようとも思わない。

だけど、ただゆっくり生きたい。泣かずに、苦しまずに、そんなプラスマイナスゼロの生活をしたい。